長崎と砂糖

最初に長崎へ砂糖を持ち込んだのはポルトガル人でした。
カステラや金平糖などの砂糖菓子の語源はポルトガル語だと言われています。
オランダ貿易の主要輸入品としても大量の「白砂糖」が長崎にもたらされました。
帆船の安定をはかるため底荷として積み込まれ、出島内には「砂糖蔵」と呼ばれる専用倉庫が作られました。
当時、製糖技術が未熟だった日本において砂糖は貴重かつ高価な物でした。
オランダ商館に出入りしていた丸山遊女達への支払いを砂糖で代用されることもあったそうです。
継続的供給が約束されるようになると、長崎→京都→江戸 と砂糖の物流整備が進み、いわゆる「砂糖の道(シュガーロード)」が出来ました。
このシュガーロードのおかげで日本の菓子文化に大きな発展をもたらします。
長崎は白い砂糖を公然としかも贅沢に入手できた唯一の都市だったのです。
甘くない料理を評するとき「この料理は長崎に遠い!」と比喩されるほど長崎と砂糖の関係は深いのです。
そのせいでしょうか、長崎の料理はあまからい味付けが多いように思いますし、祝いの席で出る料理の中には砂糖をふんだんに使ったものが多いように思います。

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