夏の風物詩「ペーロン大会」

<ペーロン大会のおこり>
長崎港でペーロン競漕が行われたのは、1655年(明暦元)年のことで、港に停泊中の唐船が暴風雨に襲われて難破し、多くの被害者を出しました。
在留の唐人たちが海神の怒りを鎮めよう端舟(はしけ)を借りて集めて、競漕したのが始まりといわれています。
日本初のボートレースですね。
元々、旧暦の5月、端午の節句に行われていましたが、競漕に熱中するあまり、各種の喧嘩沙汰を引き起こしたため、長崎奉行は、たびたび禁止令を出したとか。

現在は6月初旬~8月中旬まで、各地・各町内で実施され、7月最終日曜には「長崎ペーロン大会」が長崎港で行われ、各地区の選抜チームが競います。
なお、近年では他県のチームも参加しています。

 

 

 

<「ペーロン」の由来>
白龍(パイロン)が語源といわれています。

 

 

 

<ペーロン船>

船底の曲がり具合、へさきの潮切り、波の抵抗と力のバランスを考えて作ります
細かい事は、各舟造りの秘中の秘とされています。材料は杉。舟の長さは45尺(約13.6m)、乗員30名以内(漕手26名以内、太鼓・ドラ・舵手・采振り・あか汲み)と統一され、往復1,150mをドラ・太鼓の音に合わせて勇壮に競漕します。
また海辺に群がる応援団は、大漁旗や応援旗を振り、大声で声援を送る様子は圧巻です。<地元長崎市民にとってのペーロン>
歴史のあるお祭りですから、家族・親戚、地域の全面的な協力を得て、代々その家系の男たちは挙ってこのペーロンに乗っていました。 

 

 

<ほんのちょっと昔のペーロン>
今とはちょっと様子が違いますが、私が子どもの頃(30年ほど前w)のペーロン大会は、家族や親戚、地域の全面的協力を得て、代々、その家系の男達は挙ってこのペーロンに乗っていました。
早いとこでは2月から練習に入ります。
最初は体作りから始まります。
男たちは毎日、毎日、自分自身とペーロンにストイックに向き合う日々を送ります。
そんな男たちを目の当たりにした女たちの中には恋に落ちる人もいるようです。
(現にペーロンが縁で結婚したカップルが多いんですよ)

さて、ペーロン大会当日はいよいよ女性軍の出番です。
大会が行われる海そばの親戚宅に集まり、朝から炊き出し!
親戚中の女性たちが一堂に会して腕を振るうのですから、それはそれは豪華な食事です!
子供たちとご隠居さんたちは、父親や息子、兄弟たちの勇士をこの目におさめようと必死になって会場の海へ向かい、場所取りを敢行します。
レースが始まると防波堤や岸壁に人が押し寄せます。
中には自分の船を出して見ている人もいます。
応援に夢中になりすぎて、海に落ちる人が必ず、毎年出てきます。
全体会通すと、その数、数十人に上るそうでw
つまりこのペーロン大海は長崎市民にとって、全町人一丸となって盛り上がるまつりで、もしかしたら、精霊流しやおくんちよりも身近に感じられるのかもしれません。
しかし、一方で、後継者不足で頭を悩ませている町が増えているという事実もあります。
□お問い合わせ
長崎国際観光コンベンション協会
TEL:095-823-7423

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