志々伎山(標高347m)は山頂部が削りとられ先端が尖る奇観を見せています。
この奇観が古くから海の航海での自然の標識の役割を果たし、また人々の信仰をも集めることになります。
この信仰が形になったものが、志々伎山を含み周辺にある上宮、中宮、地の宮(邊津宮[へつのみや])、沖の宮(沖津宮[おきつのみや])の4宮で、これを総称し志自伎神社と呼ばれています。
志自伎神社は平安時代に成立した「延喜式(えんぎしき)」神名帳に名前があり、この神名帳に記銘されたものが式内社(しきないしゃ)と呼ばれ、肥前国では四社しかなく、その歴史が古いことがわかります。
また祭神である十城別王(とおきわけのみこ)は海上交通の守護神として祭られています。
上宮で石祠が祭られています。
四宮の中でも最も早く創建されたものです。
この上宮に行くには、一昔前までは、靴を脱いで登るほど神聖な場所とされていました。
中宮は現在の社殿が建つ場所から200mほど登った場所になります。
石垣で囲まれた150㎡の敷地が残り、そこに上る石段などから当時の様子がしのばれます。
現社殿は神宮寺(神社内に付属して建てられた寺)であった円満寺の敷地があったと推定されます。
地の宮は古い時代には西海を警備する人々のための武器庫があったと伝えられています。
沖の宮は祭神である十城別王の陵墓ともいわれ永い期間、こちらも入ることが禁じられるほど、神聖な場所とされていました。
確証はありませんが、海岸より古墳時代の代表的な焼き物である須恵器(すえき)などが表面採集されたとの記録もあり、古墳時代の何らかの施設(お墓)があったのではないかとも考えられます。
志自伎神社では今日でも色々な神事が執り行われ、地域の人々に大切に守られています。
<所在地>
平戸市野子町3172番地
□お問い合わせ
平戸市役所
URL:http://www.city.hirado.nagasaki.jp/city/
※広報ひらど平成23年1月号「平戸遺産」より抜粋

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