天正遣欧少年使節~伊東マンショ~

~伊東マンショとは~
安土桃山時代の天正遣欧使節の一員。
本名:祐益 ※マンショは洗礼名。
キリスト教布教と国際化を見すえて、人民の幸せのために生涯をかけた人物。

~天正遣欧少年使節(てんしょうけんおうしょうねんしせつ)とは~
1582(天正10)年、キリシタン大名の大友宗麟、大村純忠、有馬晴信の名代としてローマへ派遣された4名の少年を中心とした使節団。
1590(天正18)年に帰国。

~天正遣欧少年使節の目的~
ローマ教皇とスペイン・ポルトガル両王に日本宣教の経済的・精神的援助を依頼すること。
彼らにヨーロッパのキリスト教世界を見聞・体験させ、帰国後にその栄光、偉大さを語らせることにより、布教に役立てる。

~伊東マンショ年表~
1569(永禄12)年 日向(現宮崎県)国主伊東義祐の娘と伊東祐青との間に生まれる(0歳)
1577(天正 5)年 島津氏の攻撃を受け、日向から豊後(現大分県)に逃れる(8歳)
1580(天正 8)年 有馬のセミナリヨ(神学校)に入学する(11歳)
1582(天正10)年 天正遣欧少年使節団の一員(主席正使)としてローマへ旅立つ(13歳)
1583(天正11)年 ローマ教皇と謁見
1590(天正18)年 帰国(長崎に帰港) (21歳)
1591(天正19)年 聚楽第にて豊臣秀吉と謁見(22歳)
1601(慶長 6)年 神学の高等課程を学ぶためマカオのコレジオに移る(32歳)
1611(慶長16)年 小倉を拠点に活動するも領主細川忠興によって追放され、中津、長崎へと移る(42歳)
1612(慶長17)年 長崎のコレジオ教会にて熱病のため逝去(43歳)




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